ここからは、日本の少子化問題が進んでしまった歴史について、国の政策と社会構造の変化の2つの切り口から考えてみることにします。
国の政策
実は日本は少子化を推進していた
あまり知られていていませんが、戦後の日本は少子化を推進していたのです。テレビでニュースを見ながら、「昔は人口爆発がやばいと言っていたのに最近になって少子化がやばいと急に言い出した」と親が言っていたのを思い出しました。
1945年の敗戦後、戦地に赴いていた男性が帰ってきて家庭を持ったことで、1947年〜1949年にかけて第1次ベビーブームが起こりました。これが前出の2025年に後期高齢者になる団塊の世代です。
しかし、戦後の日本は食糧や家が不足しており、多くの子どもを育てることが難しく、政府やGHQは危機感を持っていました。そのため、これ以上子どもを増やさないように、政府は1948年に新しい法律「優生保護法*」を制定するなどして出産を減らすように仕向けました。
今では考えられないような内容ですが、私が生まれた平成になってもこの法律があったことにゾッとします。
*優生保護法:1948年(昭和23年)から1996年(平成8年)まで存在した日本の法律。 優生思想・優生政策上の見地から不良な子孫の出生を防止することと、母体保護という2つの目的を有し、強制不妊手術(優生手術)、人工妊娠中絶、受胎調節、優生結婚相談などを定めたものであった。
そして、1950年以降、人口爆発が終わり出生数は落ち着いていくが、1970年代にも政府は同じ過ちを犯します。
1970年代に入ると団塊の世代が出産適齢期になり、第2次ベビーブームで団塊ジュニアが生まれました。しかし、政府はまたもや人口増加に待ったをかけます。
この頃、世界では、世界中の有識者が集まって設立されたローマクラブ*の人口増加の危機に対する提言もあり、人口爆発への危機感が増していました。今更ながらようやく話が繋がりましたが、教科書でよく見た中国の一人っ子政策もこの時期です。
そして、日本政府も世界の流れに同調し、「日本人口会議*の大会宣言(1974年)」で子どもは2人までという国民合意を得るように努力すべきであると発表しました。この頃から標準家族(父・母・子ども2人)が推奨されることになりました。
*ローマクラブ:スイスのヴィンタートゥールに本部を置く民間のシンクタンク
*日本人口会議:人口問題研究会が主催し、厚生省と外務省が後援した会議
国民は政府の指示をしっかりと守り、発表があった翌年の1975年以降、合計特殊出生率は2.0を切っています(図1−10)。人口を維持するためには2.06の合計特殊出生率が必要とされているため、日本は政府の意向の通り、少子化の局面に入りました。
図1−10 出生数と合計特殊出生数の推移
的外れの少子化対策
今までの対策のほとんどが出産後に焦点が当たっています。異次元の少子化対策もその延長線上でしかありません。効果がゼロとは言わないまでも、なぜ少子化になっているかという根本的な原因が見えていないのが残念です。少子化を推進していた歴史を踏まえると、むしろ見ようとしていないと思います。
また、政治の世界では、少子化対策は選挙の票にならないから、できる限り票になるような施策になっているのでしょうが、選挙のための短期的な目線では、少子化という長期的な問題は解決できないのであまり本気で考えてこなかったのだと思います。
社会構造の変化
工業化・都市化の影響
産業革命によって、工業化・都市化が加速しました。これによって家族の形はおおきく変わり、子どもを持つ意味が変わりました。言い方は悪いかもしれませんが、もともと子どもは生産財でした。生きていくには労働力としての子どもが必要だったからです。しかし、工業化・都市化した時代では、子どもがいなくても生きていけるようになり、いつしか子どもは消費財となりました。これは、子どもの数が減っているのに、教育費が上がり続けている状況からも読み取れます(図1−11)。
祖父が子供の頃は農業が忙しいときは学校に行かせてもらえなかったと言っていたことが当時は理解できませんでしたが、ようやくわかりました。
図1−11 子どもの数とひとり当たりの年間教育費の推移
出典:子どもの減少と相反する 一人あたり教育費の増加|経済のプリズム
皆婚時代から結婚できない時代へ
日本はかつて90%以上の人が結婚していた時代もありました。しかし、未婚率は増加する一方で、現在では、結婚していない人が男性で23.4%、女性14.1%にのぼっており、今後もさらに増えると予想されています(図1−12)。
結婚する人が減っている原因を外的要因と内的要因に分けて考えてみます。
図1−12 50歳時の未婚割合の推移
出典:内閣府 令和4年版 少子化社会対策白書
外的要因
日本特有の結婚システムの崩壊
まずは、日本特有の社会システムの観点で考えてみます。それが、日本に昔からあった結婚マッチングシステムのお見合いと社内結婚です。
1935年には69%もあったお見合い結婚は、1990年代に入る頃に5分の1となり、2000年代に入るとほとんど消滅していきました(図1−13)。
図1−13 恋愛結婚とお見合い結婚の割合の推移
出典:内閣府 男女共同参画局 男女共同参画白書 令和4年版
職場結婚も1990年代は30%代を維持していましたが、緩やかに減少し続けています(図1−14)。私の両親に聞いてみると、両親自身がお見合い結婚ですし、職場結婚に関しては一昔前では上司が部下の仲人になることがある種の名誉のような扱いだったようです。
しかし、今では、部下の恋愛に口出しすることはパワハラやセクハラとなってしまうリスクだと認識されています。実際に、私の周りでも、上の世代は職場結婚が多いですが、同じ世代ではほとんどいません。
お見合い結婚や職場結婚の減少が婚姻数に影響したということは、今の時代ではあまりイメージできないですよね。しかし、図1−14のように婚姻数の減少とお見合い結婚と職場結婚の減少数が一致するという興味深いデータもあるので、主要な原因であることには違いはないようです。
図1−14 婚姻数の減少数とお見合い結婚・職場結婚の減少数
失われた30年で顕著になった経済的不安
バブル崩壊以降続く不況の影響も結婚ができない大きな理由のひとつです。
ます日本では、給料が約30年間増えていません(図1−15)。世界と比べると歴然です。そして、バブル崩壊後、企業は採用数を減らしたため、団塊ジュニア世代は、就職氷河期を迎え、非正規雇用の割合が急増しました(1−16)。
図1−15 一人当たりの実質賃金の推移
出典:令和4年度 年次経済財政報告
図1−16 正規雇用と非正規雇用労働者の推移
お見合いや職場結婚の減少という社会システムの変化と経済的不安といった外的要因によって、1990年代には第3次ベビーブームが起こらなかったのです。
内的要因
女性のキャリア損失
また、女性の目線では、1990年代以降社会進出が進みました。キャリアを維持するために結婚をしないことを選んだり、婚期が遅くなることも、婚姻数や出生数が減少している理由と言われています。
出産を機に退職している女性の割合は減ってはいるものの、直近で46.9%に上ります(図1−17)。まだ約半数の女性の方が出産を機に退職している事実があるので、キャリアを維持したい女性は結婚しないという選択をせざるを得ないというのも理解できます。
図1−17 第1子出生年別にみた、第1子出産前後の妻の就業変化
出典:内閣府 令和4年版 少子化社会対策白書
価値観の変化
多様性が認められる現代社会では、結婚自体をしないでいい、もしくは結婚したくないという価値観を持っている人も増えていると思います。好きなライフスタイルを選ぶことは自然な流れだと思います。 少子化の歴史を振り返ってみると今から対策をしたところで、少子化を防ぐことはほぼ難しいことがわかります。今、結婚や出産の適齢期の20代や30代は、1990年代生まれが多いです。ということは、そもそも若い世代が少ないことと結婚する人が少ないことのダブルパンチの影響で少子化が加速しているということなのです。
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