【第6話】新宿伊勢丹の鏡。「制服」を着たくない私が選んだ、イタリアという選択肢。

【STORY】ベビーカー小説

第1章:まるで「お受験」の風景

久しぶりの新宿。 来月からのアパレル復帰を控え、リサーチを兼ねて伊勢丹に向かった。

私が押しているのは、姉からのお下がりの国産ベビーカー。 機能に問題はない。でも、伊勢丹の1階に入った瞬間、自分が「場違い」だと悟った。 煌びやかな店内。そこを歩くママたちは、みんな洗練されている。

しかし、違和感があった。 右を見ても左を見ても、同じシルエット、同じブランド。 特に、あの特徴的な**「ローズゴールドのフレーム」が、制服のように溢れかえっている。 まるで、有名私立幼稚園の送り迎えで、全員が申し合わせたように「濃紺のスーツ」**を着ているあの光景と同じだ。

「とりあえずこれを選んでおけば間違いない」 「みんなが持っているから安心」 そんな無言の同調圧力が、この煌びやかなフロアを支配しているように見えた。 アパレルで働く私にとって、それは「安心」ではなく「退屈」だった。

第2章:お下がりの惨めさ

かといって、今の私の「お下がり」は、論外だ。 「キー、キー……」 タイヤが乾燥して鳴らす音が、静かな店内に響く。 すれ違う「ローズゴールド」のママたちが、チラリと私の足元を見る。 その視線は、「かわいそうに」と言っているようでもあり、「こっち側じゃなくてよかった」という安堵のようでもあった。

鏡に映る自分を見る。 毛玉のついたカーディガンを着て、生活感丸出しのベビーカーを猫背で押している私。 トレンドにも乗れず、独自のスタイルも持てない、ただの「疲れた人」。 恥ずかしくて、逃げるようにその場を離れた。

第3章:イタリアからの回答

「誰かの真似ではなく、自分の感性で選びたい」 そんなわがままな気持ちで、ベビーカー売り場を彷徨っていた時、ある一台に目が止まった。

「Inglesina Electa(イングリッシーナ エレクタ)」。 あの派手な金属の輝きはない。 でも、シートのファブリック(生地)の質感が、明らかに違う。 仕立ての良いコートのような、上品なヘリンボーン柄や、深みのある色合い。 フレームもギラギラしておらず、マットで知的だ。

「こちらはイタリアのブランドで、石畳を走るために作られています」 店員さんの言葉に惹かれ、試させてもらう。 「みんなと同じ」を拒絶するような、孤高の佇まい。 これだ。私が求めていたのは、流行ではなく**「スタイル」**だ。

第4章:魔法のワンハンド

「でも、海外製って畳みにくいですよね?」 日本の改札や玄関を考えると、そこだけは譲れない。 店員さんはニヤリと笑って言った。 「そう思うでしょう? 実はこれ、日本車より簡単なんです」

彼はハンドルを握り、手元のボタンをカチッと握った。 その瞬間、**「ストンッ」**と音もなくベビーカーが折り畳まれ、自立した。 しかも、タイヤが地面についたまま、汚れた部分が内側に収納される。 その所作が、あまりにもスマートで美しかった。 「えっ、すごい……!」 あの人気ブランドのベビーカーでさえ、畳むのには少しコツがいるのに。 イタリア人は、機能性においても「美しさ」を妥協しないらしい。

第5章:震える指でポチる

スマホで検索してみる。 Amazonでも取り扱いがある。価格は約10万円。あの「ゴールドのベビーカー」と同等だ。 夫は「誰も知らないメーカーじゃない?」と言うかもしれない。 でも、それがいいのだ。

周りはみんな、分かりやすいブランドロゴと、キラキラしたフレームで武装している。 その中で、あえてこの「ロゴではなく、シルエットと素材で語る」ベビーカーを選ぶこと。 それこそが、アパレル店員としての私のプライドであり、これからの育児生活における**「私らしさ」**の宣言だ。

「よし、これだ」 私は売り場の隅で、震える指でポチった。 私は「制服」を着ない。 知る人ぞ知る「本物」を選ぶ、大人の女性になるのだ。

第6章:伊勢丹に馴染む「私」

数日後の週末。 届いたエレクタを押して、再び新宿へ。 タイヤの大きなサスペンションが、アスファルトの凹凸を優雅にいなしていく。

ショーウィンドウに映る自分を見る。 派手さはない。でも、シックな装いの私と、エレクタの落ち着いたデザインが完璧に調和している。 すれ違う「ゴールドフレーム」のママたちの視線を感じる。 それは「被った」時の気まずさではない。 「あら、それどこの? 素敵ね」という、無言の関心だ。

みんなと同じ「紺のスーツ」を着て安心するのではなく、自分の色で歩く。 その事実が、私の背筋を、ヒール3センチ分くらい高く伸ばしてくれた気がした。 私はハンドルを握り直し、雑踏の中を、誰よりも軽やかに歩き出した。


【本日の生存戦略物資】

Inglesina(イングリッシーナ) Electa(エレクタ)

① 総評(Verdict): 「被りたくない」おしゃれママへの最終兵器。都心を席巻する「あの一強ブランド」に対し、イタリアの風を吹かせる孤高の存在。機能性は日本車並みに親切(ワンタッチ開閉・自立)でありながら、デザインは完全に欧州のそれ。

② 機能的勝因(Hidden Spec): 「魔法のワンハンドフォールド」。 海外製(特に走行性重視のモデル)は畳みにくいのが定説だが、イングリッシーナは違う。ハンドルなどのボタン操作だけで、驚くほど軽く、一瞬で畳める。しかもタイヤが服に付かない設計。この「所作の美しさ」は、伊勢丹のエレベーター前でこそ輝く。

③ 所有の美学(Pride): 「生地(テキスタイル)への偏愛」。 化学繊維っぽいテカテカ感がなく、上質なソファのようなファブリックが使われている。アパレル関係者やインテリア好きなど、素材にうるさい玄人が選ぶ、「通」なベビーカー。


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